中途半端な時間ができてしまえば更新に使ってしまうのはもはやサガなのか。読書しろよ、昨日言った癖に。

「死にたい」って感情に意味はないと言う人たちは大体カッコいいと思う。なんか*1空虚でいいじゃん♪サブカルだかヲタクだかブンガクだかソウサクだか知らないけどね♪でもそうゆう人って大体「意味なんてないよ……」ってゆう台詞を「誰かに吐かせている自分」を装飾してるんだよね♪言うなれば衒い♪それってバレたらかなり気まずいっていうかアレだよね♪ボクは個人的には大好きなんだけれど♪作品と作者は常に分離して考えろ、っていう考え方と作品=作者です、っていう考え方、もしくは結構アバウトでいーぢゃん? っていう考え方。どれも正しいわけだし、むしろそんなことを論じるのはナンセンスなんだけれど、論じないではいられないタチなのは俺か。最低だ。でも最高だ。高いとか低いとかじゃないよね。いや言葉の上だけでは。それに実際殺すとかどうとか猟奇っぽいこととか、それらすべてに憧れた時代が俺にだってあったわけだし、今更そんな自分を過去にして相対化してもね。見苦しいだけだからね。

死にたいっていう気持ちは、別に大層なもんじゃなくて、例えば騒がしい教室の中で知り合いを探して見つけられなかったときにふと感じる頬の強張りとか、寮の上の階の住人のドラム練習で天井がパラパラ落ちてくるし苛苛する、と思っていたら実はドラマーは左隣の人で、それまで感じていた苛立ちが全部俺のカンチガイだったときとか、そういうときに生まれたりするんじゃないかと考えた。ふとした寂寥感があっさりと俺を手招きしてくれる。感傷はないけれど感動はしている。何かふとしたものに心を動かされるとき、俺は死にたいと思ったり生きたいと思ったり、もしくは何も考えなかったりする。よくわからんが、心はたぶんあるし心はたぶん色々なことで動く。情緒不安定、と言われればそれまでな、感度良好な心は、ふとしたことが切っ掛けになったり、もしくは切っ掛けなんてなくてもそんな気分になったりして、揺れる、回る、動く、震える、マジで。
そういう感じの触媒として使えるなら俺は本を使うしアニメを使うしゲームを使うし、現実も使ってやる。不安定で過剰な俺だから震えられるだけ震えたがっている。あーあ。自分で何かやる気がないっていうのは勿体無いのか、むしろそれでいいのか(俺が何かする、って言ったって、ヒトビトの冷笑を招く、もしくは迷惑になる、だけだと思われ)、その辺もまたわかんねー。わかんねー。ひとりで考えるのは好きだけど非生産的だと思う。あーあ、参った。

創作まっしぐらなC2やfiollow、受験真っ只中なヒサヤツバメ、実用的勉学にいそしむ煌。なんか知り合い連中の中で俺だけ奇妙に無目的ですよ? さすが哲学科って感じですか? このまま無頼派になれるならそれがいいなぁと(それでもいいな、では断じてない)思うけれど、無理だな。こりゃ。キャンパスライフらしいキャンパスライフをやってるわけじゃないし。読書は滞り体調は優れず。でもポジティヴなんだ。ほんとわけわからねー。こんな無秩序から何をしでかせるもんかね? せめてインプットとアウトプットだけは欠かさないようにしたいもんだ。文章でいいから。リレー小説? 昔消えた企画があったなぁ……やりてーなぁ……

ふと「学生の*2ボランティア」って言葉が矛盾している気がした。だって両親もしくは扶養者から金を借りているけれど、その借りた金を他の誰かに施す行為なわけだから。さんざ「オヤ、ウゼー、死ね」と豪語しながら慈善事業。うん、矛盾ってほどでもないな、言い過ぎた。でも笑える気がする。「家族だってボランティア」とか言ってそうだ。笑える。まぁ実際そんな人格破綻者どもは存在しないだろうけど。存在しないでほしいと願うけど。チャリティってのは見下す目線になりがちで、それが怖くて俺は慈善ができない。それ以前に経済的余裕も自分にはないが。もうちっと自我が固まらないと赤の他人と接するのはほぼ無理かな、と自己分析。ボランティアなんてできないや。できる人間はすごいと思う。達成感とか、そういう見返りだっていらないんだよね、ボランティア? だとしたらマジすげー。俺はそうなりたくはない。たぶん。わかんね。死ねばいい。

*1:そういえば「ちょっと空虚でイイカンジ」って萌えのことだよね?(「モエかん」より)

*2:ボランティアって自己犠牲って意味だよね。まず安直に多少慈善っぽいことをするだけの癖にボランティアを名乗れねぇよとも思う