23〜25まで何故か奈良県に行っていました。母校の伝統行事万葉大和旅行にOBとして参加しておりました。結果として言えば楽しい日々を過ごしつつ風邪も得て帰って参りましたto実家@石川県。今は布団の中で寝込みながら明日に控えた自動車学校卒業検定におびえているわけです。俺は。



 とりあえず万葉に行って考えたこと。



 ものごとには終わりがあるということ。



 たとえば、「いつもそこにいるのが当たり前だった人」も、やがていつかはいなくなること。

 たとえば、「色々なことに手を出していられる時間」が確かにあって、また、いつか必ずそうして出した手を引っ込めなければ(諦めなければ)いけないということ。

 単純に言えば、いつまでも学生気分を続けるわけにはいかない、ってことですかね。

 お世話になった先生がたはもう自分の母校にはおらず、知っている顔の生徒もおらず、ただ学校の校舎だけが昔と変わらない佇まいであったり。もっと幼い頃には音楽でメシを食ったり小説家になったりすることに憧れていたのに、もう無理だ、と最後通牒をつきつけられたり。

 少しのノスタルジア

 少しの諦念。

 少しの誇り。

 そういったものを手に入れて、且つ、それまでのモラトリアムに囲まれて生きていた自分が大事にしていた殆どのものを失って(なくさなくていいもの=俺が社会に出るために武器にする、と選んだ趣味の一つ)、俺はオトナになるんでしょうね、とか。

 老いてなお自分を若いと自称して憚らないのは恥知らずだし若いのに自分は老けていると言い放つのも滑稽だ、年相応にいきていきたい、と思う。だからもうしばらく十代である自分にとどまって、消えていく高校までの俺の全てを惜しんでいたいと思う。

 それくらいきっと許されると信じたい。

 モラトリアムのただ中にいて、可能性に開けすぎているような時代を生きている中高生の眩しさに、ふと目を背けたくなるような瞬間を感じた俺がいる。