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ネカマとナカマという単語にある相似性を発見した!
ネカマ
インターネット上で,匿名性を利用して女性のように振る舞う男性。
仲間
(1)ある物事を一緒になってする者。
「―に入る」「―を裏切る」「遊び―」
(2)同じ種類に属するもの。同類。
「鯨は哺乳類の―であって、魚の―ではない」
(3)近世、商工業者が結成した同業組合。
goo辞書
そしてこの二つの単語は、発音が似ています。
ネカマと仲間。すなわちネカマというのは女性を装うことで、つまり女子トイレに大勢で繰り出すことで、つまりそれはある物事をいっしょになってする者としてのナカマであるのであるのであるのであるのであるのであるのである!(目指せ、「のである」連続使用世界新記録)
ネカマを行う彼らの動機はすなわち仲間がほしい、インターネットを通して仲間とつながっていたい、でも俺にだってインターフェイスあるじゃん有機的なアレさアレつなげてー、擬似的に自分=女なら究極じゃん、じゃあ俺女になってみるー、OK一人遊びが大変なことに! 自分の言動に自分で萌える再帰的再生産的性欲補完天国! ネカマ=ナカマ(シノニム)万歳万歳! ということなのである。
インターネット、その匿名性、は、いったい、再帰的な生殖行動を可能にしたのか。男性の中の女性性……アニマはネカマという行為によって結実/現象し、極私的な空間=ひきこもりるーむ☆におけるヴァーチュアルリアリティィィのコミュニケーションに溢れる幻想的俺に萌える現実的俺なネカマ諸君は同類=ナカマを同一コミュでみっけてそうとも気づかずに実際ありえねーよw的な女の子会話を繰り広げ云々以下略。拡大再生産なんだよわかれよ! 盗んだバイクならず盗んだキャラで動き出すネトゲー世界から(この支配から)の卒業!
つながっていたいという欲望は、誰かと共に在ることによって自らの存在を安堵させたい、という過去にもよく見られる観念的存在としての人間の欲望が現代というコンテクストにおいて表れたものであろう。ただ、ここにおいて他の存在を前提とせずにデータベースとの接続を以って自らの存在安堵とする変遷は、ついに、現実的存在としての他者を必要とせずに存在安堵を可能にする新たな主体の登場があった、という事実を想像するに足ると思う。
つながる、なんてSexじゃねーのかよとw的な嘲笑をぶちかましてはいけない。データベースに溢れるあまたのパーソナリティの断片は、それをつなぎ合わせる=妄想補完する、ことによって簡単に他者の存在をヴァーチャルに仮定→確定することを可能にする。
だから再帰的である。「私」には「私」だけが在ればいい。この真理はネカマ=ナカマのシノニム化において見ることが可能になる。すなわち、本来的にはナカマ=他者を志向していたものが、今となってはネカマ=自分を志向するのである。そして、ネカマがナカマとなるとき、すなわちそれはあるネカマが他のネカマを仲間と認めるとき、「相手の人格」ではなく「自分との類似性」を持ってナカマとするときである。こうして共に在ること、は、自我に常に還元する、自慰的なものとなり、他者とのコミュニケーションという側面を喪失していく。
仲間がナカマ化すれば、それは違いを認め合うことにより他者同士が同類項に加わる、という交わりの確立が失われ、自分と同じところを死に物狂いで探すような切ない交わりしか残らないのではなかろうか。
その端緒はネカマ=ナカマにおいてはじまっているのであるのであるのであるのであるのであ(略