思いつきの垂れ流しをノートにとどめ、日記的なものは全部mixiに移行したらこっちに書くものがなくなりました。しかもmixiすら忙しさにかまけて書いていません。そこまで書くことがないのかと自分に絶望する日々です。書く意欲もないのかと自分に絶望する日々です。絶望できるほどの過剰な期待を自分に抱いていたことにびっくりです。



 ある意味ありふれた普通のばかな大学生になってきていると思います。そういえば肩書きを見るとテニスサークル・趣味はギターとカラオケ、なんてひどくありふれています。多少何か他のことに造詣があるにしても、そんなものはいらない。つかえない。金を生み出す道具にならない。キャリアアップなんて何ですか?

 何かを成し遂げられる、という根拠のない確信に焦らされて、自分が何より好んでいた文章の世界で何事かをなすために自分ひとりにひきこもってひたすら生きていたころとは違い、底の無い快楽の、ぬるま湯に浸かって、自分一人に懸命になるのではなく人間関係に懸命になり、たぶん適正がある音楽や勉学には向かずに適正のまったくない運動に向かっているあたり人生のうち貴重な使える時間をおもいきり投げ捨てている気がします。サークル活動ですね。

 でもいいか、引き出しの大きさは減っても引き出しそのものが増えるだろうから。色々な人間に接する中で少しは相対・絶対の振り幅を大きくしていかないと、就きたい職業についたところで自信を結局なくすのが落ちだろうから。

 結局、社会に出てから自分がどうゆう役割につくのか、決めすぎても仕方ないけれどもある程度意識しながら生きているからこれでもういいや。自己撞着。批判したいけどできないもしくはうまくいかないのは、生き方と考え方が結びついているから。誰かと話しがしたい。Tとの話は、よかった。酒の力を借りてだったけれども。

 話をして、いきて、生きあがかないと存在の痛みを持ったまんまでいるのがつらいです。些細なことが自分の心を捉えてしまうのに、大事なことに懸命になれないのはなぜなのか理解しようもなく受け入れているだけなのは面倒です。



 この感覚を言語にしてペンで出すことができたとしても、それはただのありふれた感情・感覚の記述でしかなく、特異でエンターテインメント性・芸術性に秀でたものにはなりえず、大衆が金を落として消費する商品にはならないでしょう、という早とちりの諦観が俺をして文章を書くことから甘やかに遠ざけています。まあ、今は二年生、集中するべきことを選択していくべし、です。



 大五郎やその類の安焼酎はやっぱり嫌いだ、酔えないうえに体調は悪くなるし、吐くものが途中からひどい色になったし翌日を全部寝てしまった。