人類は衰退しました (ガガガ文庫)

人類は衰退しました (ガガガ文庫)

なぜ日本人は劣化したか (講談社現代新書)

なぜ日本人は劣化したか (講談社現代新書)


 なんとなーくなシンクロニシティを感じて買ってみた二冊の本。かたや大人ゲーム業界にて猛威をふるうライター、かたやサブカルを論じる精神科医です。全然シンクロなんてしてません。そうですね。というか、この二冊を両方読むような人間は純粋なヲタクでもなく、かといって純粋な学徒でもないような気がします。ただのカオスだよ、ただの。タダより高いものはねぇけど。

 正直、田中ロミオ作品であるところの「人類は衰退しました」について、俺はあまり期待していませんでした。だってゲームシナリオライターとして卓越してる人が、小説媒体になって常にうまくいくとは限らないじゃんよ? 田中ロミオは画面下にメッセージウィンドウが出てきて、登場人物の名前と共に台詞が流れるようなのがいいと思ってましたよ俺は。

みみ先輩:ぺけくん…………好きです…………

みたいな。(例です、あくまで。)

 そんな俺の微妙に斜に構えた期待を(やっぱり期待はしてた)(やっぱ好きだし……)しっかりとぶちこわし、ついでに小説に新しい地平やらよくわからない場所やらを切り開いてくれたような気がします。大げさに言いました。ごめん。とりあえず好き嫌いは分かれそうだけれども、俺としてはいい話を読ませてもらった気分です。ロミオ万歳(この一言に全ての感情を集約したい)!!!

〜〜衰退期か過度期?

 簡単にあらすじを要約すると、「衰退期の人類が地球を新人類らしい『妖精』さんたちに明け渡した時代を舞台に、妖精さんと人との間を取り持つ『調停官』となった主人公が活躍したりしなかったりする話」だと思うのですが……
 色々ギミックが散りばめられているわりに、全くもって読みやすいテキストだったのでサラっと読めてもしまうこの罠。甘いワナ……抜け出せない…………そしてインセクトなショッキング映像が僕等の目の前に!!
 とにかく「妖精」たちと主人公の交流は心温まるものだったりします。まったり、のんびり、癒し系。そんな言葉がよく似合うような牧歌的な雰囲気でひたすら流れていく日々を堪能すべきだと思います。ロミオ節とも言うべき、会話やらモノローグやらのテンポの良さとセンスの良さは全開(エロくはないですがwww)なので、ロミオファンもきっと満足。
 「物語はスリル! ショック! サスペンス! ついでに殺し愛がないとありえねー」なんて言い始めそうなきのこ崇拝教の病気にかかった子は、多分CCの頃のロミオを思い浮かべ、期待し、「人類は衰退しました」というショッキングなタイトルに釣られて買い、拍子抜けな内容に怒ったりしそうですが……これはこれでよいものなのだと俺は愚考いたしますなのですよ?

 TrackBack先で秀逸なレビューを書いているSuzutamaki氏も言うように、

とりあえず、世界の謎だとか、人間たちの行く末なんて気にしなくてもいい。

今のところは、このいつ終わるともわからない不思議な不思議なでも楽しい会話たちを楽しめばいい。

それでいい気がしてくる。



だから本作のラストでちょっと、考えようによっては恐ろしいような展開になるのだけれども、文面上は大した緊張感を持っていないように感じられる。

それが今の人間種のモチベーションの表れなんだろうけれど、読者的にもその程度でいいと思う。

おそろしい展開も、積極的な展開もいらない。

神様たちの不思議を、まったりと体験しよう。

http://d.hatena.ne.jp/SuzuTamaki/20070605
らいたーずのーと、070605

 まさにこれに尽きるのである。……尽きるのかな? ちょっとここでもう一つの読み方を提言してみよう。

〜〜作品をメタメタしく思え。香山リカ方式で。無理矢理に。

 ロミオ氏のあとがきにある「平成生まれが〜」やら「小学館といえば〜」やら妙に現代において「ゆとり教育」の極致にあるだろうと思われる世代を強烈に意識した言葉をちょっと深刻に考えてみる。
 ついでに、「人類は衰退しました」本編に漂う無気力感と、どうやら最高学府に居たらしいのに学に乏しい主人公(女)像も。さらに彼女の「ゆとり教育世代」やらなにやらの発言。
 あと、「Y子」以外に人間種の固有名詞がまったく登場していないのにも注目。妖精さんたちに対してはわざわざ人名辞典なんか持って行ったのにね……

 名前の問題は置いておくにしても、だ。この物語は面白い構造を持っていそうだ。
 第一に、現在平成生まれ〜あたりの若年層を「一応は」読者層として想定しているようだ。
 第二に、それらの教育事情、有り体に言えば「読解力低下」やら「教養の低下」やらをさりげなく皮肉っていたりするようだ。
 第三に、この物語全体が、そういう「低下」の果て、すなわち「衰退」のあとの姿として描かれていることだ。

 こんな読み方をするのは捻くれ者だけかもしれないし、単に俺の深読みのし過ぎだったりするかもしれないけれど。要するにロミオは、すごく複雑な形で=児童文学的な形をとったラノベで、そうした本を読む若者を批判しているのではないか、と思うのだ。そう考えると、人類の「モチベーションのなさ」「緊張感のなさ」は、物語に単に牧歌的な雰囲気を与えるのではなく、とても不気味なものに感じられてくるのだ。だって、この「緊張感のなさ」の中には、読者に対する「おまえはこういう風に劣化したんだろ?(笑)」とでもいわんばかりのメッセージが込められているように見えてくるのだから。

 ところで、主人公は極度の人見知りで、コミュニケーション能力のなさをよく露呈している。だけれども。¥、例えば*1冒頭で故郷の皆様に偶然会ってしまうときなどの「主人公にとって都合の悪そうな場面」は基本的にカットされ、描写されることはない。その場面を切り抜けて、精神的に参っている主人公が描写され、そのまま次の場面に移っているのだ。
 「妖精さん」たちを描写するのに使われた表現で、「喜怒哀楽のうち真ん中二つがない」というものがある。そのとき、一人称モノローグの主体、すなわちこのことを思いついた主体であるところの主人公は、その暢気さを少しうらやましげに、ほほえましげに、でも少しだけ見下してもいるようだ。けれども、実は「妖精さん」たちだけではなく、「人類」もまた同じようなものになっているのではないか。「妖精さん」たちに向けた生暖かい視線が、自分に返ってきはしないだろうか。事実、この物語には本当に「怒哀」の描写がない。まったくない。人間の描写が乏しい、というわけではないはずなのに、どうしてもその二つの要素だけが見あたらない。
怒りも悲しみもない「人類」というものこそ、まさに「人類の衰退」を表していたりするのではないか……

 なんて思ったりもさせられる。うん、田中ロミオ、おもしれー。
 文体的にも、ページの半分を使って一段落、みたいなことは一度もなく、多くて四行、大体一行に満たないほどで一段落が終わってしまうすさまじく簡単な文だった。これなら「読解力低下」の世代でも読めるだろう、という皮肉なのか、それともゲームの頃につちかった癖なのか、そこまでは自分には判別がつかない。

 あとはY子さん以外の現生人類全てに固有の名前がないのに、主人公は「妖精さんたちに名前がない」ことを気にして名前をつけようとする。これについても何かきな臭いものを感じてしまうけれど、述べるべき言葉が今は見つからないのでいったんは沈黙しておきたいと思います。ぜ。

〜〜なぜ香山リカは劣化ry

 ぶっちゃければ逆ダーウィニズムです。昔の良かった点と今それが維持されてないことを論証してとりあえず「劣化」って言ってる気がします。

 例を示してみよう。香山は、若年層の文字を読む能力が低下している証拠として、日本人が長い文章を読めなくなった、ということを示している。曰く、香山が最近頼まれた文章の長さに関して、当初、香山は1200字の原稿として書いた。ところが香山が編集者に問い合わせてみたところ、1200字ではなく200字であった。さらに、身近な編集者に尋ねたところ、かつては800字くらいでも多くの人が読めたが、今は200字くらいでなければ読者は読むことができない、というのが業界の常識なのだ、という。従って、日本人の知性が劣化しているのは明らかである(香山、前掲pp.14-18)。

新・後藤和智事務所 〜若者報道から見た日本〜
2007年4月20日 (金)
想像力を喪失した似非リベラルのなれの果て 〜香山リカ『なぜ日本人は劣化したか』を徹底糾弾する〜
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2007/04/post_6cb6.html


 とはいえ、その論証自体、結構現代に生きる皆なら日常でやってそうなんですよね……だからたいして違和感を抱くこともなく、「納得させられてしまう」。香山リカが何故か売れるのはこういうことを巧妙にやるからなんでしょうか。それとも、天然でやってんのか。どっちかわからんっす……。自分の話で恐縮ですが、高校時代に新聞部やってた頃、一段落を長ーく書いた文を友人に見せると「難しくてわからない」と突っ返され、先生に見せると「巧い」と褒められた記憶がよみがえりました。そうそう、読書感想文の読み合わせで、俺の感想文ともう一人=知り合い、文章巧し、の感想文を他の班員みんな辞書引きながら読んでてそのあげく「ワケわかんねーよww」と言われてすごく鬱になったりとか。語彙の劣化はクラスにおいて格差作ったりもしてました。マジで。それだけは言える。
 だから自分は、先達に比べて自分が「劣化」しているあるいは「劣化」した教育を受けた一面もあることを自覚しつつ読み、とりあえず「損にならない」程度にこの本を役立てようと思いましたが。具体的には、「年長の人から気にいられるにはこの本の逆をやればいいんだなぁ」っていう。

 だから、つまり。劣化の極みに居ると思われているであろう昭和〜平成生まれの境界線あたりにまさに産まれた自分としては、結構頷ける描写がありました。そうだよ納得できちまったんだよ案外!! けれどもね。劣化は二極分化を促進させる方向に進んでいるのだとして、ついでに価値基準を旧態依然とした教育の上に置くなら、ぼくらの世代は紛れもなく劣化済みでしょうけれど、一応「生きる力」やら「ゆとり」やらを目的とした教育に基づいて教育された僕等は、実はこういう人材として社会に出ることを文科省に一応期待されてたんですよ。まぁ、結局は香山リカ以外にもいろんな人が似たような言い方で「若者ダメ」的言説を垂れ流すわけですが。そして復古主義。いやはやなんとも……
 日本人の劣化というよりは、「自己」概念の劣化やら「他者」概念の劣化やらも考えてほしかった。思想史的に見るべきことが色々あると思うんです、この人が安直に取り上げてるテーマのうちいくつかには。
 しかし本が売れるってうらやましい。


〜〜ちょっとだけ皮肉

 ところで本書第六章「排除型社会での『寛容の劣化』」において、「ゼロ・トレランス」や「排除型社会」に対する批判をガンガンやってる割に、本人のやってることは結局「異物」としての若者排除であり、「劣化した若者」に対する嫌悪感の表明なんですよね…………寛容が劣化しているのは「誰なんだろうか?」と問いかけるのはいい加減ナンセンスなんでしょうかwwwwww

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