日本文学がたぶんじぶんの「心のふるさと」(ANGO的に言う)なのですが、「日本文学」なるもの=古典、と考える奴が知り合いに多いです。なぜ紫式部ばっかなのさ、と思います。
 俺は結局、明治期の私小説的なモノを原点としてるわけで、そういう自分の軋轢妄想等々を垂れ流すスタイルに填ってしまっています。昭和以降、日本人の知識人たちはついに近代を身につけ、私小説ではなく小説を書き始めます。芥川という「短編しか書けなかった」作家の死をもって近代の「物語」が書かれるようになるわけです……
 藤村も漱石も鴎外も結局は私小説的な一人称スタイルから完全な脱却を見ていないと俺は思います。そのせいで、逆に、彼ら自身が思っていることがダイレクトに反映され、後世に語り継がれるような作品ができたとも考えます。あの作品群は人間そのものの切り売りです。
 昭和以降は、自分以外のことを小説にする三人称が隆盛しはじめます。知識人にとどまり情景を表現する文章の職人とはなりましたが創作者にはなれなかった芥川の死は、これらの世代交代の合図のようにも見えるわけです。

 ……さぁ自分でも何言ってるかわかんなくなってきた。要するに、日本文学について誰か語らないか、ってことなんだけれどもなぁ……
 それをきっかけにしてどうにかして俺も一人称から脱却してぇよー