今更わかった休み時間及び授業の空きの使い方。語学をやればいいんだ、的な。そうするとなんだか自分がすごく真面目な学生になったような勘違いにおそわれることができます。明日は全休なので意味なく学校にいって勉強してみます。高校生みてー。高校のときやんなかったけど。

 思いつきメモ。
 フーコー援用。権力/知を把握して、文化相対主義的な世界観を獲得して、西欧中心主義的な「社会科学」像をぬけだそうとしても、なんと政治学の分野ではある一つの秩序づいた情況を模索しなきゃなんないので、
→結局は抽象化された「一つのもの」を志向せざるをえない(相対主義で字面上の真理を騙れない)
→哲学ならば字面上の真理でも学問そのものの意味を無意味にすることはないね
→倫理は?

 実践的であろうとするにゃらばどうしても「何事かをコミットする」言説でなきゃならないのね
 でもそれはどう考えても「完全な真理」じゃーない 物事の一側面あるいは多面を反映した言説かもしれねーけれども絶対に限界があるのです 人間の数だけ言説があり全てがその主体にとって合理的たりえるわけーで
 多数決で決めた言説を採用するってなるとマイノリティが消えたりする弊害・マイノリティの言説のほうが優れていた場合どうすんの的弊害とか怒るわけですが 何か一つにしないと現実からは遊離するわけですね

 結局 ひと(人)は ひと(一)だから 万能ではないのね 一だし。万なんてでかすぎ。

 まあそうやってあっさりあらゆることに還元するのは激しくびみょー。でも一理ありそー。(おお、この葛藤こそが相対・絶対の悩み!!!

 つーわけで思索を行って→言説を構成したあと→それを「実践」にこぎつけるための策は、「言説に常に誤謬とか不完全なものが混じることを先刻承知! な状態であること」、「その言説が常に更新されうるものであることを言説内で示しておくこと」、そして「言説を構成した主体の私見も示しておくこと」、ですかね?

 意見をだすときは話し合いの余地を残せ、ってことか。なんだくだらない。でもきっとくだらなくない。
 ↑の命題は実にコミュニケーションに役立ちそうじゃないかwwwwwwww?!!

 あは、おもろ。くもないか。町蔵。