夢と魔法が口酸っぱくやかましく叫ばれ言われ受け入れられる←ここ重要、虚像の王国ディズニーランドには重大な欠陥がありました。それは、デートスポットとしての機能が微妙に低いこと。
 前に一度書きましたように、ディズニーランドはその思想的側面において、男性をして楽しむ女性に対するえもいわれぬ嫉妬を抱かせしめる構造を持っているのです!!!あはははははあーははあ。
 さらに、酒が出ません。
 しかも、アトラクションの回り方やお土産の買い方を一度失敗すれば、人の多さ→なにより思慮分別に欠けた家族連れの存在は、ふとしたことで空回りしたりぎくしゃくしたりしがちな不安定な男女カップルの仲を急速に冷やすこと間違いありません。「おとーさーん」「ハハハ、なんだい?」的な図が多く見えれば見えるほど、アトラクション待ちの列やお土産レジの列は長くなり(家族連れに対応している=老若男女に対応している=客層が多い=人多すぎる)、対照的にカップルの堪忍袋の緒はまさに短くなっていく導火線のようにぷっつんぷっつん切れれば切れよ、挙句の果てには縁切さ!! ってな具合なのです。
 人が多いとこにムードはあんま生まれません。少なくとも、満員電車の中で目的地を待ちながらロマンチックな気分になるのはよほどの痴漢with変態露出狂以外にいないんじゃないでしょうか? ディズニーランドで、待ち時間の長蛇の列も気になりませんことよwっていう人たちは、もうおつきあいの範疇を超えてお互いの伴侶を見つけたと考えたほうがいいかもしれませんよ?

 まあ世の中うまくいかないもんだよ、ディズニーランドに行きたがるあほな彼女(彼)を持った不運を嘆くがよいわハハハハハと寂しい身の上の僕としては言ってやりたいところですが、そうは問屋すなわちオリエンタルランドがおろしませんでした。

 ディズニーシー、ランドと対を成し、合わせてディズニーリゾートという「観光地」を形成する片割れが遅れて登場してきたのです。
 ディズニーシーにおいて、ウォルト・ディズニー作品は大幅に影を潜めます。お土産グッズに多少現れる程度で、アトラクションや町づくりにおいては映画の再現であったりします。一応テーマに「水」はあるようですが、ヴェネツィアだったり近未来だったり過去の港町だったり、正直節操がありません。あと、類似品であるところのユニバーサルスタジオジャパンと区別がほとんどつきません。
 これは、ディズニーランドの唯一の欠陥であったところの「デートスポット」という機能を埋めるためのものです。
 純粋な遊園地に近づけることで男性側のイデオロギー的敗北感→嫉妬を和らげ、かつ子供たちが楽しみにくい構造にすることで(アトラクション少ない、ベンチ割と少ない、etc)人を減らし、また町の雰囲気もどう考えてもデート向きです。
 アラビアとか、ヴェネツィアとか、あのあたりのレストラン街って雰囲気いいよね?
 さらにお酒も出ます。ホテルも近いです(あのアンバサダーとかミラコスタ……うろおぼえですが、とかそういうホテルを使う人たちの気が知れませんがね)。さらにめんどくさくなったらショッピングモールデートに切り替えられます! なんという都合のよさでしょうか。

 すべて、計算されているのです。

 しかも実はそれらすべてがディズニーリゾートの名の下に接続されているという事実……
 ディズニー=アメリカであることを見抜ける私たちにとっては、あの舞浜駅への旅はアメリカへの小旅行となるのです……
 ウォルト・ディズニーという男の思想が色濃く出ていたランドと対照すればわかることですが、ディズニーシーとディズニーリゾートのコンセプトは、アメリカ的なものにさらに寄ります。ランドにおいてディズニー的であったものは、シーにおいてアメリカに主役を譲ります。すなわち、前に述べた
 <資本主義であり、ベルトコンベア式に出てくる未来的食料供給形態であり、オリエンタルランドであり
 ということなのです。

 アメリカすげーアメリカこえー。まだまだ続くよ鼠講、ってことなんでしょうか。
 そりゃベンジーもノイローゼになった友人とか持ちますさ。だって「ディズニーランドに一緒に行こう」なんて「気が狂っている」ようなことなんですよ。「とても恥ずかしくてたまらない」に決まってる。
 それでも僕らは、なぜかディズニーを求め続けてしまうのです。

 次回へつづーく。