議論を待たない後だしじゃんけん

つまり、記事の要旨は日本でも移植・生殖医療の法整備を整えるために「まず前例を作ってしまえ」ってことですか。
あるいは「前例ができた」から法整備を整えろ、ってことですか。そりゃそうですよね、腎移植で「助かってしまった」あるいは不妊治療で「生まれてしまった」子供に対して、その命にNoを言う権利は誰にもないでしょう。倫理についての議論を待たず、技術だけが先行して、結局法律はそれを追いかけるだけになってしまうのですか……。今まだ彼らは「異端」の医師ですが、これらの医療が公然と行われるようになるまで、あまり時間はかからないだろうと私は思います。

移植・生殖の医療はもうすでに*1技術として確立されつつありますし、科学技術はそうやって*2倫理観の変容をもたらしながら進歩するのでしょう。

置き去りにされたままの倫理

ただ、例えば、臓器移植が可能になってから起こりそうな「身体売買」とか「身体アイデンティティ」の問題があります。
自分の身体の一部がお金に換算される世界とは? 誰かの身体と自分の身体を見分けることができなくなっていく世界とは? 技術が進歩して今までではあり得なかったことができるようになれば、われわれの世界の見方も変わります。それに備えた理論や倫理、すなわち思想、を整備することが、ある意味では法整備より大事である気もします。

移植のせいかもしれない感染症などによって早死にしてしまった場合の責任は誰にかかってくるのか、という問題も考えなくてはなりません。医師にですか? 家族にですか? 後味が悪いことだけは否めないでしょう。ですが技術も人も全能ではあり得ない以上、「失敗」という事態も考えねばなりません。

また、代理母出産でお母さんたちはお金と子供が手に入ってうれしくても、子供は誰を母と呼べばいいのでしょうか。産みの母と実の母が異なるという事実は、成長していく過程で子供にどんな影響を与えると思います? そんなことを考えることもなしに子供が欲しい、というのは、親の*3エゴで子供の生を振り回すものだと思います。

「倫理より患者」という姿勢は、実際に診てもらう*4患者と医師にとっては有益かもしれませんが、マクロな目で見ると倫理的吟味なく突っ走る医療は研究室で行う実験とあまり変わらない行為であり、ゆえに、人の命・人の心をないがしろにする行為になりうる危険をはらんでいます。

メディアはとりあえず疑っておく

新聞にこのような記事が載るということは、*5政府は移植・生殖あたりの医療技術を法的に肯定する方向になるべく早く持って行きたいんでしょうね……。私一個人としては慎重に倫理的吟味を重ねてから肯定するにしろ否定するにしろある答えを出してほしいんですが。
いずれにせよ、生命倫理に安直な答えはないと思います。そして、生命に関わる医療に無為な時間もないと思います。倫理には時間がかかるのに医療には時間が足りないのです……。悩まなければ整備できない倫理の立場と、悩んでいるうちに患者を死なせたくない立場の両方とも、妥当だと思います。どのようにこの問題が落ち着いていくのか、真摯に見つめる必要が、少なくとも今後生きていく私や私に近い世代の人にはあるように思われます。


<異端の医師>移植・生殖医療で独自の道徳観 2氏の共通点
(毎日新聞 - 11月20日 13:20)
 病気腎移植を重ねる愛媛県宇和島市の万波誠(まんなみまこと)医師(66)と、「祖母が孫を産む」代理出産を手掛けた長野県下諏訪町の根津八紘(ねつやひろ)医師(64)。地方を舞台に移植医療と生殖医療の最前線で働く“異端の医師”の共通点は。【大場あい、池乗有衣、永山悦子】

 「私は目の前にいる患者さんを毎日、精いっぱい診ているだけですから。日本の移植医療をどうするか、死体腎(ドナー)をどうするかなんて考えたこともない」。万波氏は18日、毎日新聞の取材に対し、こう答えた。

 万波氏は山口大を卒業後、70年から市立宇和島病院に勤務。腎移植を志して渡米後、77年に同病院で初めて腎移植を手がけた。04年に新設された宇和島徳洲会病院に移ったが、過去約30年間に執刀した移植手術は約600件に上るという。

 その間、腎移植に熱心との評判は広まり、万波氏の「カリスマ性」を高めていった。元同僚医師は手術ぶりを「経験に裏打ちされ、正確で無駄がない。病院というより万波先生が信頼のブランドだった」と振り返る。

 根津氏が院長を務める「諏訪マタニティークリニック」。不妊治療で苦労する患者の最後の「頼みの綱」とも言われる。全国から1日200人近い患者が訪れ、手掛ける体外受精は年間1200〜1300例に上る。

 根津氏は信州大を卒業後、医学部助手などを経て76年に開業。不妊治療に取り組み、排卵誘発剤を使った最新の治療法で妊娠した患者の喜ぶ姿に触発された。「何とかしようと続けるうち、いつの間にか不妊症の専門家になっていた」と話す。

 2人は、多くの患者に頼られている点が似ている。万波氏の元同僚医師は「堅苦しいネクタイを締めず、一般の医師と違い、接しやすい人柄。何か困った時は夜中でも病院に来る。臨床医としてあるべき姿」と話す。根津医師も患者の間で「面倒見のいい医師」として知られる。

 地方での人気が高い一方で、学会などからは「倫理より患者」という姿勢が厳しい批判を浴びている点も共通する。

 万波氏や彼を慕う医師らは「捨てられる臓器を生かす第三の移植」として、がんなど病気のため摘出された腎臓の移植手術の意義を力説するが、移植の専門医で作る日本移植学会は疑問視する。移植可能な臓器なら摘出しても人体に戻すべきだし、捨てる臓器なら移植はリスクがあるためだ。

 同学会の大島伸一副理事長は「研究的要素の強い治療は学会で是非を問うべきだが、万波氏の姿は見たことがない」と述べ、同学会に所属せず、症例もほとんど公にしない万波氏の密室性に厳しい視線を注ぐ。

 根津氏は98年に公表した、第三者提供の卵子を使う「非配偶者間体外受精」が日本産科婦人科学会の指針に反するとして除名された(04年に復帰)ほか、同学会の指針や厚生科学審議会生殖補助医療部会の報告書に反して代理出産を続けている。大西雄太郎・長野県医師会長は「一医師の道徳観だけで進める生殖医療は危険だ」と話すが、根津氏は「倫理観は時代によって変わる」と意に介さない。

 「倫理より患者」の論理を食い止める法整備は遅れたままだ。民間シンクタンク・科学技術文明研究所のヌデ島(ぬでしま)次郎主任研究員は「日本では、何か問題が表面化した時、その場限りの対策を考えるにとどまってきた。今こそ公的なルールを築くことにエネルギーをかけるべきだ」と指摘する。

*1:ハイデガーとかフランクフルト学派とかをみてみると?!

*2:倫理なき科学および科学技術はマッドサイエンティストを生むと思うです

*3:キーワードはエゴだと思います

*4:患者のエゴと医師のエゴにおける利害の一致が「倫理より患者」という思想を生み出していますが、その二つのエゴの達成は必ずしも良い結果を生むとは限らないのです。

*5:まぁ11月20日以前から、向井亜紀だっけ? を認める・認めないの報道=代理母是非の記事→一週間後に根津の記事→一週間後に祖母が孫を産む事例の記事、っていう新聞・TVメディアの周到な報道体制があったわけですが