恋するプラスティック★デバイス

「恋人とのコミュニケーションにテキストメッセージ利用」6割――米調査
携帯で得たニュースをデート時の会話のきっかけに使ったり、無礼な携帯マナーが別れる理由になったり。携帯電話は恋愛にさまざまな影響を与えているようだ。
2007年02月10日 08時23分 更新
 テキストメッセージは恋愛ツール――バレンタインデーを前に、AT&T傘下のCingular Wirelessが2月9日、米国の1006人を対象とした調査報告を発表した。

 報告によると、恋人や配偶者とテキストメッセージでコミュニケーションをとるとの回答が33%で、前年の調査から6ポイント増加した。この数字は、既婚者、交際相手がいない人では30%にすぎないのに対し、現在交際相手がいる人では59%と高くなっている。また、誰かを口説くのにテキストメッセージを使うとの回答は全体の28%に上った。

 デート中の携帯電話の利用については、回答者の38%が「大切なディナーの席で、相手が電話に出たことがある」と回答。自分自身が電話に出たことがあるとの回答も31%だった。また、8%が交際相手の携帯マナーの悪さが理由で別れたことがあると回答。「付き合う相手を、使っている携帯で判断したことがある」との回答も6%あった。

 一方、17%が「気まずいデートの時、携帯に助けられた」、12%が「テキストメッセージのニュースを、デートの会話のきっかけにしたことがある」と回答している。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0702/10/news013.html

 ケータイはぼくらの身体の一部になっている。ケータイはぼくらの器官の一部になっている。あげく、ケータイはぼくらよりもぼくらのことを知っている。と思うのです。

 固有の電話番号と固有のメールアドレスで、ケータイのユーザーは*1ほぼ特定されています。私たちは、いつでもどこにいても、連絡をとりあうことができます。その発信・受信の機能を担うケータイによって、私のコミュニケーション様式も、価値観も、変わっていくのです。

 人間は脳を持っていて、それに色々なことを記録しています。デートのときの会話なんかで、出てくる話題というのは、その人が今までに記録した経験なのです。会話を重ねれば人のことが少しずつわかっていく、というのは、「会話」を構成する要素が実は話をしている人そのものに由来しているからなのです。だから、デートのときの会話というのは大変難しいものであったりしました。頭の良い相手とうまく話をするために、最近の話題をリストアップしてある程度まとめたり、話題がとぎれないようにテレビやらを集中して見ておいたり、相手の趣味を調べておいてそのことについて少し詳しくなっておいたり、と地道な努力が必要でした。また、会話の中の駆け引きなんかもなかなかに難しく、興味深いものでした。気の利いた応酬、粋な言葉遣い、焦らしたり意地を張ってみる振りをしたり、正直になってみたり冗談めかしてみたり……色々な言葉を掛け合いながら、お互いの距離を測っていくものでもありました。ていうか俺個人はそうでした。みんなどうなんだろう。今更不安になってきた……

 まぁとにかく、そんな風に「自分身体ひとつ」で勝負するところが多かったコミュニケーションですが、ケータイというツールが導入されることによって私は身体以外の記録媒体を手にいれ、かつ連絡手段を手にいれてしまったのでした。
 これの意味するところは実はとても大きいと思うのです。

 すなわち、見る(写真)、聴く(電話)、話す(電話)という*2五感のうちでコミュニケーションにとくに関わると考えられる感覚全てがケータイにより大幅に拡張されること。
 すなわち、その場でネットにつなげて情報を得たり、スケジュールをメモして管理したり、その他自分の*3外部に知識を蓄えておけること。
 すなわち、個人と個人が*4一対一でつながることが可能であること。

 これらのケータイの機能によって私たちの生活は便利になりました。そして、その便利さを当たり前に享受しはじめるとき、私たちの価値観はケータイによって変えられていくのです。

 ……まぁ実は今までだらだら書いたことは結構どうでもよいことでして。それより何より、今個人的に色々怖い思いをしているのです。

 私は、口説いたり口説かれたりする中で、会話の応酬を繰り返していく中でお互いについて知っていく、という段階があると思うのです。それは別に恋愛に限ったことではなく、コミュニケーション全般でそういう局面はあるように思います。
 そこで、「ケータイによって得た情報を使って会話をしていく」ことを積極的にした場合に、「どこからどこまでが私で」「どこからどこまでがケータイで」あるのかがわからなくなっていきそうで怖いんですが……
 「ケータイによって得た情報」は「私」に元々属しているものではありません。知らなかったのでたった今検索して、ダウンロードしてきた一時的な私の知識です。しかし、それを元にして話し相手が「誰々という人は、このようなことを知っているのだ」と判断することはあり得るのです。

 *5例えば、ジャンプという漫画雑誌に無知なnyaro♂という大学生が、ジャンプという漫画雑誌が大好きなニドラン♀に恋をして、その話題で興味をひこうとしたことにしましょう。nyaro♂はジャンプの話をサイトからダウンロードし、ニドラン♀に対しあたかもジャンプ通であるかのように振る舞うことができます。それで話が弾み、ニドラン♀はnyaro♂に好意を抱き、それがきっかけとなって交際することになったとします。このとき、nyaro♂はケータイを自分の器官の一部であるように扱いますし、ケータイが有る限りジャンプの話についていくことができるのです。ところが、nyaro♂はケータイを取り上げられればすぐさまただのジャンプ無知な男に成り下がってしまうのです。
 まぁ、ニドラン♀とつきあっているうちにnyaro♂がケータイで得た知識を自分のものにしてしまうこともありえるのですが……

 ともかく、このような事例において、自己と端末の区別がつかなくなる、むしろ区別をつけてしまうと不都合が生じるようなことが予想されてきたりもするのです。そして私はケータイって怖いなぁ、と思うのです。

 便利だけど、便利だから、あまりに機能があって私のできることが増えるから、増えたできることが私を逆に戸惑わせてくれるのです。ああ、ケータイって*6こわい……

*1:ある人のケータイを他の誰かが使ったとしても、私たちはそれに気づくことがなかなかできません。ID認証の技術は、ケータイによって匿名性が上がれば上がるほど需要を高めていきます。その意味で、ケータイにおける固有の電話番号・メールアドレスは、必ずしも個人の自明性とは結びついていません。むしろ匿名性と結びついている節があったりしますが、それはとりあえず今は置いておきます。

*2:視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚のうち、自分にも他人にも近いものを感じてもらえるのは視覚と聴覚らしいです。メディアは触覚・嗅覚・味覚を刺激する形にはなかなかなりにくいらしく、媒体としてのケータイはやはり視覚・聴覚による通信が主な用途となっているはずです。

*3:メモは自分が書いたものですが、自分の外にあるものですので。外部に情報を蓄える、というのは人間が昔から書物という形で行ってきたことなのですが、ケータイという自分の一部に限りなく近い「外部」が存在している、ということは極めて驚くべきだと思うのです。

*4:今の時代、家電話でまず誰かが出て「〜〜さんお願いします」なんて手間がないんですよね……ケータイなら一発で固有の番号・固有のアドレスで連絡がとれますし。クラスメイトの気になるあの子に電話したらお父さんで、何も言い出せずに悪戯電話まがいのことをしてしまい、次の日教室でその子から「悪戯電話があって、お父さん怒っていたわ」なんて言われて気まずい思いをする時代はそろそろ終わりを告げるのですかね……

*5:喩えです、フィクションです、nyaroは彼女いない歴=(検閲削除)です……あーあーあー

*6:半分本気でこわい、もう半分はまんじゅうこわい、程度の気分。