たとえば色々何かとやりたいことがあったとして、それを達成するとかそういうのは凄く難しいことだったりして、諦めること、妥協すること、そういうことを知らず知らずのうちに身につけていくたびどんどん高みを見れなくなって、そんな自分がイヤで……的な状態になることが昔は多かった自分です。ありえない位に類型的っつぅか有りがちっていうかな感じの青い臭い悩みです。そして現在はどーか。足元にある小さい幸福をできるだけ沢山見つけて多幸感に耽るのもありか、と思い始め、そしてどんどん凝り固まろうとする自分にあせったり、生き急がない自分が嫌いじゃなかったり、死ねばいいと思ったり。なにがなんだかどこがどこだかだれがだれだか俺は俺だか。揺らぎ揺らいで過ぎ行く時間が無為だとしても無駄じゃない、それくらいのことは信じたりしながら毎日過ごしたいものだなぁとか思ったりしながら、それでも音楽とか恋愛とか運動とか勉強とか色々何かとやりたいことに関するフラストレーションと失望が重なってポジティヴにはなりきれない。なにもかもやりきるのは難しいもんだったのだ! その代わりそれなりにこなしていてそれなりに認められつつあり自分としても認めてやってもいいような状況は常に作りうるのだ! 相対と化した俺はそこで俺定点とか俺座標とかを未曾有の関数にして想定して暴走するのだ! ニーチェにとっての神は死んだ、しかし神を殺した存在としての俺たち=狂人を際立たせていくファクターとしての神はそこで生き続けている。俺は何を殺せるだろうか? 何を生かせるだろうか? 観念的になってしまった自分は観念の中で観念を弄るただの*1エロ魔人となって妄想を現実と完全に区別しながら観念を妄想・現実のどちらにも侵食させて単に双方を知的刺激としてのみ扱いそのままひたすら楽しみ・楽しみ・他人の振りをするのであるか/それは不明。いい加減著名な哲学者とかを引き合いに出して自分の明らかに破綻した文章に衒学気取るのはやめたほうがむしろ死ねばいいと思うのだけれどそれは自分の手癖だった。ギターでいうペンタトニックが染み付いた*2ジミーペイジ。しかも彼のように神にはなれない、出来損なった*3器。狂ったことを自覚している狂人は結局のところ狂ってはいないと思う。でも来るという状態は誰にでもある。ある種の熱狂。きっと誰もが孤独においてもしくは群衆において体験するなにかしら刺激に対する過敏な反応。一時的な発狂は俺=ぼく=私の一人称を一瞬のうちにIに還元してIT=Infomation technology=代名詞としての「それ」革命を同時多発的に起こしまくる。既得の言葉は全て借り物だから危篤の親類という電報を受け取っても俺はきっとそれを咄嗟に理解できない。だって危篤って借り物だから。もういいかもういいやもういいよ。好きな人がいる。いた。いる。いた。いる。いた。どっちにころぶのだろう。自分の未熟さをいつも自覚。生き方、時間の使い方、何に重きを置いたのか、それがどうしようもなく取り戻しようがないから涙が流れそうになるモラトリアム。もう帰ります。畜生。豚。牛。そして全ての吐き出した罵倒が俺に還る。悪感情は自分の内から。罵声はもっとも自分の耳の中で響いてしまうから……ああ、俺は俺をけなしながらあやしながらどうにかやっていく。あれを、あのように、ああやって、イクのだ。ぁあぁあああ。これは欠伸。法悦。もう区別つかない。はじめからそんな区別なんてつけるつもりはなかった*4糞散文。消えてしまわない。消えてしまいたい。*5その感じを残したい、という今感じ。今思い。そこはかとなくリアルに見えるか見えないか俺は日焼けした肌を気にしたりしつつ自意識過剰に自意識をひけらかす。汚いのか綺麗なのか。二元論をぶちやぶってカオスをそのまま受け入れたい。それこそ自意識の発露だろうとは思うけれど。個人主義も文化相対主義も決めつけも押し付けもすべて正当化したがりの人間が作り出した自己弁護なのか? 言葉とかいう記号がすべて本物=嘘なのだ。イコールで繋がる反対の意味の言葉。詭弁が能弁に語る真理。どこから出てくれば妥当なのだ、記号論理学よ? 追求したい、追及しても奥が見えない自分の限界の歯がゆさ、人間の限界の奥深さと底浅さ……なにもかも忘れて眠りたい。そんな*6朝。

*1:下ネタを呼吸と同時に吐きまくるようにはなりたくないぜ!!

*2:はまれば誰にも出せない味を出すのにはまらなければ信じられないくらいショボイ演奏をしてしまう悪魔のギタリスト昔痩せてたのに今太ってる元Zep

*3:めっちゃ傲慢、自分。比べる事自体が。

*4:いつものことだけど

*5:「朝日が差し込む部屋のあの感じ」に近いか Numbergirl

*6:朝が来ない夜があったらいいなと思いませんか?