別にブログに限ったことじゃなく。自分がこれまでに書いてきた文章を読み返すと必ず随所随所で吐き気を催すのだけれどこれは文章書きにとって当たり前のことなんだろーか。単純に文章が未熟だ、とか、単語の意味を間違えて(故意にせよそうでないにせよ)いたりするから、とかではなく、漂う雰囲気がひたすら俺の気分を悪くさせるのですが。人に嫌悪であれ賞賛であれ何らかの反応を起こさせることが出来れば、或る文章がそこに存在して意味をまとったということに対する意義はあるはずだから、俺はナルシスティックに自分の文章に*1酔っているということなのでせうが。そういう自分のスタンスもまた俺の吐き気の源になります。ゲロゲロ。
自分の才能とか能力とかそういった人より秀でた部分を簡単に自認できる人間ってすげぇ。と心から思う。過剰な自意識を持てあます俺はその過剰な部分が人より劣っていると見なされるのか優れていると見なされるのか今ひとつわかっていないので。無駄を省くことが優なのか無駄が多いことが優なのか。価値判断の基準を自分の外に求めるとき俺はものすごい質量の不安に襲われる。ひとり、もしくは気心の知れた数人の間でしか通用しないような理念は、社会が広がれば広がるほど紙屑に変わっていく。俺は紙屑に変わっていく。俺は消されてしまう。それは怖いw
世間での一般論の一つとして、「人ひとり死んでも世界は変わらない」とか言うわけで、それに反論して「人の命は世界より重い」とか言うひとがいるわけですが。俺は「人ひとり死んだらそれに関わる人の世界は糞変わる」「けれど世界は人だらけ」「一人消えても動きはするさ」てな感じに考えてしまいます。俺の親しい奴らが誰か死んだら俺の世界は一変するけどたぶんほかの誰かはいつもどおりの毎日を送るのだろう、とイージーな想像を弄んでいるのです。なにさ、こういう類の文脈に於ける主役は俺なのかそれとも世界なのか。その辺の判断がつかない自分はばかですか。もういいや。自分が書いた文章むかつく。

*1:悪酔って