高校の後輩たちに会って考えることがいくつもある。もの凄く皆純粋で、狭い世界観のなかうつくしいものだけを見ているように見える。若い体は醜い皺などと無縁で瑞々しく、男女ともにまだあふれる肉欲を持てあましたりはしていないように見える。このあたり、実は客観的見方というよりは俺の理想の少年少女を投影しているだけだったりして、それを思いつくとまたいつもどおりの自己嫌悪に落ち着くのが俺なのだったりして。
可能性だらけの彼らが、いつしか勉強「しない」選択をして堕落する様。処女はいつか性交して結婚も離婚も経験したりするのだろうか。童貞は自分の快感だけを貪ることを覚えてしまうのだろうか。恋や愛が性欲や金と結びつく社会的恋愛が純粋な感情を浸食するのだろうか。
結局このあたりも全部俺のノスタルジーなんだろか。ならいいや。さくらの唄がどうしようもなく痛いのはきっと高校卒業直後、大学卒業直後、みたいな青春終わりの節目節目なんだろうなぁ、と思うのだ。その実感を、今、するのだ。あーあ。
悲劇も喜劇もすべて凄い質感で迫ってきたあの頃はもう戻らない。それ以外を知ってしまったら以前の段階に帰れなくなるのだ。虚飾だらけの俺の自意識だけれどね。
それでも昨日の自分がしょっぼい糞で、明日の自分が今日の自分よりマシな糞になっているように祈るのだ。自信なんて死ぬまでに一欠片でもつけば人生大成功だろうよ。愚かなる自分よ、浅はかなるすべてよ。なぜ誰もが根拠のない自我に根拠のない信頼をもてるのかわかりませんので寝るか畜生。俺は幸せだぜ。でも自信満々な彼らはどんな幸せを感じているんだろーか。あーあーあーあーあーあー