ここしばらくでやっとこさ旧交を温める暇ができたとさ。まぁ明日つくば市にとんぼ返るわけなんだけれど。
創立記念祭を前に浮ついた雰囲気の校舎を歩けば昔授業を持っていただいた先生とすれ違い、そのまま何もなかったかのようにお互い歩いていくことになったり。学校は変わらない。ただ構成員がつねに変わる。教師と校舎とその他諸々は永遠に閉ざされた青い春の中で少年・少女の日々と共に凍結されているのではなかろうか。ホント無視されまくった。
部活なんかで一緒だった皆とも会った。相変わらなかった。
同窓会にも出ることが出来た。最高のクラスメイト達はやっぱり変わりなかった。俺はセンチメンタルになった。みんな幸せになればいいのに。なんで誰もかもいろんな壁や悩みにぶつかる必要があるんだろうか? みんな幸せならいいのに。だからみんな幸せになっちゃえ。畜生。世の中は理不尽だと思った。なぜ自分に関わる人間すべてが必ずしも心から幸せに笑っているとは限らないのか? 俺は幸せになっていないあいつらを認められねぇ。なぜなら、皆いいやつすぎるから。幸せだよ、とやつらがはっきり言えて、俺はそれをホームレスしながら見つめる、そんな世界がたぶん生きていくのにうってつけなんじゃないかと思うのだ。ああみんな幸せになればいい。願わくばすべて俺と関わったもしくは関わっていない人すべてに吐き気がするほど過剰な幸あれ。そして俺も幸せになろうよ。畜生。

(いいわけ)俺のものの見方はほかのひとのそれとちょっとずつ違うから幸せだっていろいろあるよ、と言えるわけで。だから俺はやつらが自身で幸せだ、と実感していることをどうにかして知りたいだけだ。といいわけする。
俺のものの見方から見えた世界を記述すると、誰もが俺をうそつきだと感じるだろう。俺は誓ってうそはつかない。けれど、自分の見方を譲らない。だから、その食い違いが、俺をうそつきにならしめる。でも、俺はうそはつかない。すべての人に幸あれ。それだけはいつも心から思っている。そして俺に幸あれ。たまに思っている。