教養から逃走したい 教養崩壊を単純に批判したがる人から逃走したい 教養を要求される場から逃走したい 教養を強要されないところなんてない
 うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 歴史実証主義に基づかなければ科学じゃなくて学問じゃない ことを平気でのたまいなさるなら、人の生き方を考えることは科学でもなんでもなくてオカルトだ デカルトじゃないぜよwww
 結局 人文系の学問の根拠は教養だと思うんだ どれだけのことを知っているか しかもそれは自分の意見をつくる前提として必要らしい つまりは 過去のことを暗記することにどれだけ自分の いまここ の時間を費やしたかどうか
 適度に過去を知って その情報群からいまを考えることができたなら もしくはそれが可能なだけしか 歴史・同時代の情報が少なかった頃ならば 歴史実証主義的な方法で経験論的なメソッドをつかう人文科学は 権威を持って・誰かに必要とされる 科学だったとおもう
 でも いまを考えるためにいまを見据えないと 人間の限りある時間のせいで限られまくったキャパシティがあっさりオーバーフロー起こしそうなくらい書籍も蓄積されすぎ(しかも意味のあるものかどうか疑わしいポストモダンがさらにいまを見据えるのをむずかしくする)ているので、過去を暗記する余裕もない
 ていうか過去を暗記して今までやってこれた人間は 普通に人文科学の徒になれるとおもうけれど なったところで昔そうだったような人文科学を営めるようにはならないとおもう いまここについて考えることをないがしろにしちゃうから=象牙の塔っていう皮肉
 たぶん人文科学は教養を供給することで成り立ってきたところもあるし 考えを供給することで成り立ってきたところもあったわけだけれど 教養主義が高じて現代に参加できなくなって 教養供給のスパイラルの中で自己撞着を繰り返すようになってしまったら 哲学も社会学も文学も美学も歴史学民族学民俗学もその他俺が思いつけない何もかもが ただの知識人の知的遊戯になっちゃう気がしている 過去においては もっと人々に近づいたものだったとおもうのに……
 議論・対話を展開するときに 論じる内容と論じる相手について詳細な理解を得なければ議論・対話が成立しない、と毎度毎度「的はずれ」な議論を避けるために逃げの一手を打てば打つほど お互いのメンツを保つことに腐心して 実のあることを何ひとつできていない気がする 自分は道具主義功利主義ってわけじゃないけれど 少なくとも人文科学って無用じゃね? 的雰囲気に対して何かしら抗する必要性は感じないわけにはいかないような気がするがいかがなもんなんか

 あ、mixiでnyaroで日記書いてます こちらではおひさしぶりです