あけましておめでとうございました! 今日の日を迎えられたことを底なしに祝いたいと思います! なんてったって「いまここ」に生きているんですから! なんて尊いことか! 祝おう! 愛と正義と平和! ここで私たちが生きていることは当然の権利であって、地球の裏側で新しい年なんてものを迎えることなくばたりばたりと死んでいく兵隊さんも貧民さんも難民さんも気にしない! ついでに西暦を使ってないからまだ新年じゃない人間さんたちは異教徒。気にしない! むしろテロってgogo,killkillkill!! 揺るがぬ正当性は我らにあり!
 でもみんな数十年経ったら死んで腐って土になるだけですね。うわー突然なにもかもどうでもよくなったよ、*1中島義道ばりに。つーかHappy new yearっていう言葉の感覚にものすごく欺瞞を感じるので胸がむかつきます。だって誰が新年になって幸せになるよ? 幸せってなによ?ついでに胸はひゅーひゅー言います。何を隠そう俺は今喘息の発作気味な状況、熱に浮かされ息もできず(比喩じゃなしに)、ぜひゅーぜひゅーと陸に上がった魚のように布団の海を自力で泳げずただ漂っているのです。テオドール! テオドール! 科学技術に生かされている実感! 俺はきっともう少し生まれてくるのが遅かったらちっちゃい頃に蕎麦食って発作起こしてたときに死んでいたでしょう。死因=蕎麦。死因=蕎麦。やべぇ不謹慎だけど自分のことだと思うと笑えてくる……

 それはそれとして。俺は今年が何年だったかわかりません。今までは自分のもとに届いた年賀状で干支を判別していたのですが、生来の連絡無精のせいかはたまた閉鎖環境つくば市が文書の検閲をし、俺の友人たちのようなすばらしい人々の文書をはじくのか、単に俺の住所をみな知らないのか、あるいはすでに俺は彼らの中ではいなかったことにされているのか、あるいは元々俺なんていなかっt――ついに届かなくなりつつありますので。まぁマメな古田●郎くんが春休みに筑波にくるかもww的な年賀状を一枚僕の本に送ってくれていたのでとってもピュアでスウィートな気持ちになれたのでよしとします。言うなれば、のどかな田舎町から夢を抱いて単身上京したはいいものの都会のテンポの速さ、人の狡猾さ、知識の凄さについていけず疲れ果ててしまった27歳の彼(製造業)が、派遣で来てた女子社員(22)に心の寄る辺を見つけ、彼女もまた等身大かつ素朴な彼の人間像に惹かれていき、初めて二人そろって彼の郷里を訪れ、子どもに返ったかのような笑顔で自分のおさない頃の武勇伝を得意げに話す彼が言うには、「この向こうにさ、昔よく飛び越えたブロック塀があるんだ」というので見てみようと思い二人で連れ立ってどこかで見たような気がするくらい何か懐かしく穏やかな臭いのする町並みを歩いていくと、彼の記憶では件のブロック塀があったはずのところには真新しいビルが建てられていて、なんとはなしにやるせない気分にさせられてしまうときのような気持ちです。ていうか、未だにまだ干支がわからない俺は大丈夫なのか、大丈夫なのか。早く年賀状を読もう。それにつきる。

 というわけでとりあえずなんとなくだらだらと始まったりした今年も残すところわずか約360日くらい、思えばいろいろなことがありました。思い残すことはありまくりなのでこれからわずかな時間を必死に過ごしましょう。歯を食いしばれ、今はやりの顎関節症がキミを待っている! ってなもんです。

 自分のために生きても彼のためにいきても誰のために生きても、思想のために生きても貨幣のために生きても、どうあがこうと最後には*2ドクロが残るか、あるいは腐って何も残らないのが人間です。新年あけましておめでとう。おめでとう。すべてに感謝しながら生きていきましょう。おめでとう、おめでとう。

狂人三歩手前

狂人三歩手前

私の嫌いな10の人びと

私の嫌いな10の人びと

*1:参考・「私の嫌いな〜〜」や「狂人三歩手前」とか。だがしかし、中公新書だかのウィーン生活について書いたものやら、いろいろ読んでみると彼のグレ方はものすごく味のあるひねくれ方=十重二十重のひねくれ方をしていて、一瞬ちょっと待って、と言いたくなるのに最後にはにやりとさせられて「あなたのような方がひとりくらいいてくれると楽しいぜ!」なんて気分になってしまうのが不思議や……

*2:一休さんは正月をドクロで祝ったことがある。中島義道は現代のとんち名人なのか? とか思う今日このごろ