GOING UNDER GROUNDがトワイライトで「主役は君と僕の 脇役のいないストーリー♪」なんて歌って(そして皮肉なことにNHKの「平成若者仕事図鑑」に採用されて)るのに、the Pillowsはバックシート・ドッグで「もしかして、なんて罪な夢は 心をかきまぜる 脇役の恋♪」なんて歌ってる。この二つの曲は好対照をなしているように見えるのだけれど、実は同じく「はみ出し」た感じを歌っているんじゃないか、と思った。

 誰だって物心つく前は「僕の人生の主役は僕だ」ということを疑わなかっただろう。世界が自分をいつもいつも爪弾きにするなんて思いもよらずに、無邪気に無垢に生を肯定して生きていたころがあったはずだ。他人の視線が気になるよりも先に、自分がやりたいなぁと思ったことをやっていた。難しく言えば「意志の絶対的肯定」だ。それが「わるいこと」だったなら大人から怒られた。そして反省して、学んでいった。とてもとても健康的に、育っていくことができた。
 けれども、第二次性徴が過ぎたあたりで、「僕」は内面的に激しくかわってしまう。ひとたび「他人の目から見る」「客観的に見る」「もう一人の自分から見る」というような視点を身につけてしまうと、自分のことを対象化して見つめずにはいられなくなってしまう。そうすると、ほとんどのひとたちは、無邪気な幻想から苦悩に満ちた現実へと無理矢理目を向けさせられてしまうのだ。

 仮面ライダーにあこがれていた少年諸君は、誰もが仮面ライダーでありたいと思う。誰も怪人になりたがらないし、ましてや怪人に無惨に殺されてしまう普通の人にだってなりたくない。悪いことをして世界征服をたくらむショッカーになりたくないし、その中のザコである戦闘員にもなりたくない。たった一人のヒーローでありたい。ヒーローは孤高で、かっこよくて、善だ。孤高でかっこよくて善なのはわかりやすい。わかりやすく練り上げられた物語の主役は、どうしても一人になってしまう。成功も失敗も葛藤も決断も全て、たった一人の主人公が体験していくものとして描かれる。じゃあ現実問題において、僕らがたった一人の主人公になろうとすると、うまくいかない。たった一人の仮面ライダーの役は、みんななりたがるせいで倍率が高くなりすぎる。ヒーローの席は一人分しかない。それは、「この世界」という大きな物語をわかりやすく解釈するなら、「物語の主役」になれるのはたった一人だ、ということだ。身体的にも精神的にも恵まれた人間でもなければ、誰から見ても「世界を動かしている」「成功している」そんな主役にはなれない。だから僕らは苦悩する。僕の人生は僕だ、なんて無邪気にも思いこんでいたのに、実はせいぜい誰かの人生の脇役になれれば良い方くらいの存在だった自分に気づく。自分の矮小さに気づく。
 「主役は一人」なんて極端すぎる言い方をしなくてもいい。「勝ち組」「負け組」で人を分けることも、これまたある種の「物語」に則って人を規定している態度だ。やっぱり自分に価値があり、生きている価値があってほしい。だけれども、他人と比べてしまったらどうなのだろう。この世界を大きく見て、自分が果たしている役割ってどうなのだろう。なにひとつ報われる気がしない。収入の大きさ、仕事のやりがい、生活が充実しているかどうか。そんな様々なことがらを判断していく中で、「自分を対象化して見つめる」視点をうまいぐあいに持てば持つほど、悲哀が浮き彫りになってくる。
 「もしかして」僕が主役なんじゃないか、という夢はとてもとてもあまい。しかも誰だって見ることができる夢だ。けれども、本当に味わうことは不可能に近い。しかも悪いことに、夢から覚めて現実に向き合う時、この上なく悲しくなってしまうような夢なのだ。だからそんな夢は罪作りだ。そうthe Pillowsは歌う。「今になって、思い知ったんだ 君はまだ あの季節 思い出せるかい? 痛いほどまぶしかったね」と。「痛いほどまぶしい季節」は、まだ目がくらんでいて・自分のことなんて見えていなかった季節・輝かしく美しい季節=物心つく前だ。そんな時代は思い出の中にしかない。「僕」は悲しい世界で生きて行かなくてはならない、ということをもうすでに「思い知った」のだ。また、こうも言える。「主役は君と僕」なんて歌が単純に心にひびくのは、とてもとても恵まれた境遇にある人か、まだまだ無邪気な幻想の中で生きている子どもたちだけだ。より深く歌詞を聴き取ってみよう。GOING UNDER GROUNDは、僕は「主役」になんてなれないよ、ということを痛感している。「気づけば僕と君しかいない 風と稲穂のその中で」と歌うとき、「鉄塔のガイコツ」も「ネオンのゼリー」も捨象されている。僕の世界に僕しかいない・君の世界に君しかいない状態なら、脇役の存在する余地ははじめからない。この歌は閉じこもることでしか自分の物語の主役にしかなれない現代の「僕」や「君」たちへの悲しみを込めたメッセージであり、救済だ。
 人は疎外された。そして俺たちはみんな人を疎外している。お互い押しのけ合って心の中にむなしさを感じているのに、それをやめられない。誰か助けてくれ。叫ぶ声は誰にも届かないまま鉄筋コンクリートの壁に吸い込まれて消える。Been alienated and suffocated so long.