ライヴレポにはならないことを祈りつつ、かのうや・toe・SUNS OWL・WRENCHのチャリティライヴ体験記→そこで考えたことを少し。
1:かのうや可愛かった、3:SUNS OWL可愛かった、4:WRENCHトラブった。ライヴペイント経過がすばらしく良かった。瞬間を記憶しておけない自分の脳髄が憎いっす。
2:toeはトリにしたほうがいいよマジで。彼らの演奏が本当に硬派だった気がします。メロディは綺麗だから、過激さを求めてるようなひとは音源だけ聞いてtoeを敬遠するかもしれないが。実際に生で聞くなら、ああいったクリーン+メロディアスで感情的なバンドアンサンブルが一番良いと自分は思う。持論になってしまうけれども、バンドスタイルのライヴで歌詞を聞かせられるようなヴォーカリストは本当の天才だけだと思う。もちろん、バンドスタイル、というものはすなわち、ヴォーカルと確実に音域が被るようなディストーションギターのことなのだが。アコ弾き語り+パーカッション、ベース、ピアノ、のどれか二つ、のように、どちらかといえばシンプルな構成でなきゃ歌は引き立たないと思う。ライヴで見せる、ということは何かを削って何かを際立たせて、ということをしなきゃいけないと思うからだ。そういう意味で言えばディストーション・ペダルがなくアンプのオーヴァードライヴのみに任せていた時代のrockは、音響の未熟さもあってか、逆に全員の音が聞こえていた(過大な音量で聞こえなくなる、という今風の問題はなかった)のだろう。それはどうでもいいけれど、toeは歌が存在しない、ありがちなディストーションも存在しない、ある意味ではちょっと聞きなれない音楽をやっていて、それで聴衆を純粋に音だけで惹きつけていた。ライヴというものが単なるショーに過ぎなくなってしまっていたSUNS OWL以降と比べると(ショーとしてのライヴもまたありなのだけど)全く客の反応も違った。俺はそんなtoeがとりあえず好きだった。感動した。生であふれる感情を聞かすときに言葉はいらぬ、むしろ邪魔。そんな風なことを勝手に思った。というか、前から自分が歌詞とか曲とかそういう音楽を微妙に疎ましく思っていることをちょっと思い出した。ライヴで自分が聞かせられない類の音楽(自分は天才ではない)だから。当たり前だけれど、Number Girlにはなれそうもないのだよぅ。
かのうや、SUNS OWL、WRENCH、それぞれ個性的ですばらしいバンドをまた同時に見ることができたゆえに、その違いとかを考えて、toeに感動し、あらためてちょっと自分の方向性を考えてみた。そんなライヴでした。俺にとっては。